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第一話 『おふくろ、ゴメン』 [第一章]

『じいちゃ~ん、ありがとう…父ちゃんが帰ってきたよ…ぎ、ぎぇ~~ん、ぐひっ、ぐぉぅぅぅん…』



声にならない声で、仏壇に手を合わせてオフクロが泣いていました。

今まで必死にこらえていたものが、堰を切ったように…

平成22年11月26日、ボクが退院した日です。




その4ヶ月半前の7月15日にボクは入院しました。

病名は『左上顎歯肉がん』でした。






話はずっと昔、小学生の頃まで遡ります。

ボクは子供の頃から割とズボラで、歯磨きなどはあんまり好きではない子供でした。

小学校4年生くらいの頃、学校の歯科検診で虫歯を発見されて、治療カードなるものを渡されたのですが、
実はあまりの痛さに治療を途中で止めてしまい、歯には穴が空いたままでした。

その後の学校の歯科検診も適当にやり過ごし、ボクの歯の穴はだんだん大きくなっていったのです。

そして高校を卒業して社会人になってから、その歯は麻酔をかけて治療する必要があるくらいに大きな
穴となりました。

でも、麻酔をしての治療なので、そこは大丈夫…ずっと穴が空いたままのボクの歯はその神経を抜かれて
何とか10年ぶりくらいに治療を完了したのでした。






もうひとつ…ボクは昔から鼻に蓄膿症の気があるとお医者さんに言われていました。

実際にボクは40才の時に蓄膿症の手術をしているのです。

その手術の話はまた後日にしますが、この蓄膿症ってやつと、神経を抜いた歯がすぐ近くにあり、少し
風邪気味になると鼻が詰まる、鼻が詰まると歯茎が腫れる、歯茎が腫れると治療で歯に被せた部分を
取り除いて歯茎の中を掃除してもらう…こんな変な悪循環が2~3年に1度ですが、20年前くらいから
続いていたのです。

そして、過去の記事にも抜歯したこととして書かれていますが、この時も同じような症状が出てたのです。
なかちゃんのうたごえ日誌 2010年4月20日  『化粧について』


この時は『また奥歯の歯茎が腫れてきた。歯医者さんに行かねば…』程度しか考えてなくて、宴会の
数日前に歯医者さんには行ったのですが、宴会があるから抜歯はそれが終わってから…なんて程度の
考えだったんですね。


でも、実際はいつもとは違いました。

抜歯して、歯茎の中を掃除して、それでも腫れが退かない…まだ掃除が足りんのかな???との思いで
5月20日に再度歯医者さんに行きました。


そしたら先生は『まだ退かないとはおかしいな…紹介状を書くから、大きな病院の歯科・口腔外科で診て
もらってください』とおっしゃいました。


県立中央病院を紹介されてその日のうちに診察を受け、歯茎の組織片検査ということで一部分を切り
取られたのですが、もしかしたら普通の方はそこで何か気付くというか、ピンと来るものがあるのかも
しれませんね ^^;


ボクはといえば全くの脳天気で『こんな歯茎の中を掃除するのに手術とかになるんか?めんどくせー』
程度の想いしかなかったんですね…


それから1週間後、5月27日に中央病院を訪れたボクに歯科・口腔外科の先生は『歯茎のがんです。
手術が必要です。』とおっしゃいました。


ホントにおかしな話ですが、それまで全くがんの可能性を考えてもみなかったのです。


こういうのを『青天の霹靂』というのでしょうか…


その日の想いをボクはこのように日記に綴っています。

宣告初日  2010.05.27 (雨)
今日県立中央病院で『がん』であると告げられた。今まで頭痛や腹痛等で受診したときには少し考えたことだったが、まさか歯科・口腔外科で宣告を受けようとは思ってもいなかったので、全く無防備で聞いてしまった。
強がってはいても、やっぱり少し不安だ…だけど、誰にも心配はかけたくない。強くならねば…



その日のうちに同じ病院内の耳鼻咽喉科を受診し、手術前の検査の日程とかを提示されました。


そして、7月15日に入院、翌16日には手術を受け、4ヶ月半もの入院生活がスタートしたのでした。









最初に書いたような、オフクロの声にならない声…あんな泣き声をボクは初めて聞きました。


そして、その時に初めて自分がいかに親不孝な4ヵ月半を過ごしたのかを思い知らされたのです。






次回に続きます…










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