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第三話 告白 [第一章]

このブログを書くにあたって、資料となっているのが入院中にベッドの上で書いていた日記です。

日記

書いていたとは言ってもPCのwordでチョコチョコってメモ程度に書いてただけなんだけど、それでも
プリントアウトしたらA4版で約50枚になりました。
日記

今になって思い返すとその時の状況なり気持ちなりが甦ってきます。


中には思い出したくないこともあるんですが…




前回の終わりに書いていたと思いますが、ボクががんにかかってしまったことをオフクロに言えずに
時間ばかりが過ぎていきました。


実は、オフクロの民謡大会の予選が6月20日だったんです。


『その予選が終わったら言おう』と決めたはいいけど、いざその時のシーンを自分の中で想像してみると
どう考えても『オフクロは泣くんだろうな…』というマイナスなことしか出てきません。


ボクの想像力が弱いのかどうかは分かりませんが、話の仕方をどのように組み立ててシュミレーション
してみてもダメでした。


仕方がないので、ボクの2人の妹に協力してもらうことにしました。


妹たちにはオフクロが取り乱してしまった場合に慰める役目をお願いしたのです。


なんと情けない兄か…とも思いましたが、そんなことを言ってる場合ではないと思ったんです…





話は変わりますが、今回ボクががんにかかってしまったことは、まずはカミさんに話しました。これは
当然ですよね ^^;


実はボクのカミさんは、小学生の時に父親をがんで亡くしているんです。


そのことを考えるとやはりボクの心は痛みましたが、カミさんにはガマンしてもらうしかないと思い、
病院で宣告された日に全てを話しました。





そして、次は3人の子供たちです。


子供たちはどんな反応をするだろう?というのがあったのですが、案外冷静に聞いてくれました。


ただ、子供たちに話したことで彼らは彼らなりにいろいろと考えて、陰でカミさんの力になってくれて
いたようです。


ボクも助かりました。


実は一度だけ、自分の身に起こった現実に耐え切れずに、そのことをカミさんにぶつけてしまったことが
あったんです。はっきり言って八つ当たりですね、情けない。


その時に、子供のうちの一人が『俺等を含めて家族の中で一番心配しているのは母ちゃんなんだ。その
母ちゃんに対して何もあんな言い方をしなくてもいいじゃないか』と、涙ながらにボクに抗議しました。


今回の病気の中で、一番ショックで、また一番反省させられ、また今から思うと一番嬉しかったことです。






さて、6月20日がやってきました。


朝から準備をして予選会場に向かうオフクロに『行ってらっしゃい。頑張ってこられぇ…』と送り出しては
みたものの、終わって帰宅したオフクロに対して言わねばならぬ親不孝を思うと、果たしてどんな顔で
オフクロを送り出していたのやら…


その日はなかなか時間が経たぬような、また早く過ぎたような変な感覚でしたが、夕方になり妹たちが
家に来ました。(妹たちには事前に顔を見て趣旨を伝えてありました。)


そして夜となり、『ただいまぁ』と帰宅したオフクロは妹たちを見て『どうした?』と聞きましたが、まずは
『今日の予選の結果を聞きに来たんだ』か何かだったと思うけど、適当なことを言って話をそらしました。


結果は残念ながら合格とはならず、次回予選に推薦枠で出場することとなったということでした。


実はこの結果が最悪で、推薦枠で出場するということは、よほどヘタクソな唄さえ唄わなければかなりの
確率で県大会に出場できるというものなのです。


その次回予選日とは7月18日(日)とのことで、ボクの手術の2日後です。


これはもう言わない訳にはまいりません。


妹たちの力を借りてオフクロに告げました。






『妹たちが来ているのは何かおかしいと思ったし、ここしばらくのあんたの態度は何かおかしかった…』と、
比較的冷静にオフクロは言いました。


しかし、実際は冷静に聞こえただけで、実はオフクロはそんな事情で休日の夜に我が家に出掛けて来た
妹たちと、病気になってしまったボクのことを慮って(おもんばかって)くれていたのでした。


妹たちが帰ったあと、『身体には尚更気をつけなきゃね…』とだけ言って自分の部屋に入ったオフクロに
対して、ボクは心の中で謝罪するしかできませんでした。


そして、手術から2日後の予選で唄う力はオフクロには残っていませんでした。





さて、こちらのブログですが、ボク自身いつ更新すれば良いのかが全く分からずにいたんだけど、
今後は週に1度の更新を目指したいと思います。


とりあえずは毎週水曜日の深夜~木曜日の朝…でしょうか ^^;



今後ともヨロシクお願いいたします <(_ _)>




次回に続く…







コメント(5) 

コメント 5

ちあこさん

頼もしいお子さんですね。そんな言葉を言われたら、ワタシ嬉し泣きするかも。
そして奥様も過去の傷も含めて受け止めてらしたんだ。これは北海道のお礼も当然かも?!
お母様の心境は察するほかありませんが、親というのは強いのだと感じました
by ちあこさん (2011-06-09 06:49) 

ぐーちゃん

息子さんの言葉、思わず涙が出ました。
男の子を三人も産んで育てて、すばらしい宝物です。
妹さん二人も、力強い援軍ですね。
なかちゃんちの記事が好きなのは、
「家族っていいなぁ」って実感できるから。
一年たって、この記事が書けて、ほんとに良かった。
お母様も、今年は野菜づくりが楽しいことでしょう。

by ぐーちゃん (2011-06-09 09:29) 

horigon

僕なんかと違い、家族の中心にいる・・・いや、おらねばならぬ立場の
なかちゃんだから、悩みは人一倍のことだったと思います。
でも、とても無責任な言い方をすれば、今回のことで家族の絆が
いっそう強くなったのではないでしょうか。そして、無事生還できたのは、
ご家族(とくに奥様)のお陰と、亡くなったお父様の導きがあったように
思います。
by horigon (2011-06-09 10:13) 

ミムラネェ

こんにちは
なかちゃんの記事を読みながら、胃に腎臓にと見つかった際の
イライラしていた父を思い出しました・・・
一番心配していたのは側にいる母、でも普通にふるまえばふるまうほど
「他人ごとみたいに!」と父はイライラが募ったようです^^;
側に気遣ってくれる沢山の素敵な家族が揃っているなかちゃんは
幸せですね~^^
by ミムラネェ (2011-06-09 18:13) 

なかちゃん

♪ご来訪くださいました皆さま、コメントありがとうございました (^^)



♪ちあこさん、おはようございます ^^
最近ですが、ちらっとそのことをカミさんに話したところ、ウルウルになってました ^^;
北海道どころか、財布が許せば世界一周でもしたいくらいです。
その時は、お袋も連れて…ですね (^^)



♪ぐーちゃんさん、おはようございます ^^
こんなアホみたいな父親の息子でも立派な台詞を云えるようになるんですね。
ボクの記事の家族っていいですか?それはとつても嬉しいです。
1年が過ぎたからこそ賭ける記事なのかもしれませんね…
オフクロは、毎日畑仕事に精を出しています (^^)



♪先輩、おはようございます ^^
いやいや、ボクなんかより先輩の方が中心におられなくてはいけませんよ。
脳天気なボクだから、今になってこんなのが書けるのかもしれません ^^;
妹を含めた家族?一族???の絆は、オヤジが亡くなった時に感じました。
そして今、確かにそれは強く、太くなったかもしれません。
ボクにとってはチョイと痛い授業でしたけど (^^;



♪ミムラネェさん、おはようございます ^^
そうか、お父さんがそうだったんでしたね。
ボクは反対に横で心配されるのが辛かったです。
『大したことはないから、気にすんな…』って、いつも言ってました。
でも、たくさんの人に心配してもらえるって、確かに幸せですね (^^)



by なかちゃん (2011-06-10 09:33) 

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